2006年09月10日
20060909 岡山へ
考古学研究会へ。
今週はろくに寝れていない・・・。頭がぼーっと。
朝、新幹線で岡山に。車中爆睡。久し振りに降りた西口は、デジタルミュージアムなぞ出来ていてちょっと雰囲気が変わっていました。
昼前に大学へ。委員会中で久し振りの研究室は学生さんだけ。顔見知りのM君とちょこちょこ話をして、会場へ。研究室は、あまり雰囲気が変わっていない・・・コンピュータはどーんと増えたけれど。ちょっと嬉しい。
で、発表。色々な場で話をさせていただく機会が増えて、慢心したのか、これが最悪。自分で何を伝えたいのか戸惑う場面もあって、時間も超過、焦って結論を端折りすぎた。
当然、N先生からびしっと御指摘。
大学院の大先輩にあたるTB大学のO先生からも。そうなんです。その通りなんです、という問題点を指摘。
以前に、名大の研究会でも会の後に日本古代史の先生方と盛り上がった問題点、考古学だけが結構古い律令国家観をひきずっている、という話を最後にしようとして、発表メモに長々と書いていたのですが、思いっきり飛ばしてしまった(T◇T)。
次の報告の福山市二子塚古墳の成果に驚愕。土器の年代で振られるが、私のスタンスで備後の須恵器の年代を断定できる訳がありません。ごめんなさい。
Mさんから御著書を頂戴する。すごいなあ。じっくり拝見したいと思います。
駅までのタクシーの車内で、N先生から御意見と、論文書きなさいと激励を頂いて恐縮。近況報告などしながら駅前の飲み屋でビールと焼酎、鳥料理を堪能。
一人早めに楽しい会に別れを告げて、駅へ。新幹線の待ち時間で久し振りに岡山ラーメンを食べたいな、と思うのだけれど、丸天もあまいからいも軟弱な酔っ払いにはちょっと遠い。かといって、通る筋のラーメン屋は不味かった憶えのある店と、知らない人がいない店。
仕方なく、人がそこそこ入っているお店へ。

そういえば、カメラも忘れている・・・。携帯でぱちり。
味はまあ、こんなもんかな。やはり、よく通ったパチンコ屋の横通ってあまいからいに行けばよかった。
店を出て、白十字のマドレーヌをお土産に。

懐かしの味。
で、22時に帰宅。三重県のMさんが今日は我が家に御宿泊。大学の同窓会の帰りということで、色々と話。その後、何気にパソコン立ち上げて気が付いたらもう2時。慌てて布団へ。
2006年09月08日
20060908 器への憧れ
考古学研究会岡山例会で話をさせていただくことに。
しかし、研修期間にやるものではないですね・・・。
で、今回のテーマはこれ

プレゼン用のスライドの一齣。
しかし、受けた当時には予想しなかった研究の進まなさ。多分、色々お叱りを受けそうですが・・・。
今日は、研修で土器の実測についての講師。なかなか伝えることは難しい・・・。
とりあえず、日曜日は倒れてる予定。
2006年07月04日
20060702 汁谷&三条九ノ坪の土器を見る
歴史土器研究会の例会で兵庫県埋蔵文化財調査事務所へ。
朝の相方との会話。
「今日何処?」
「魚住」
「Iさんと2人なら、後ろ開いてるよね」
「うい」
という訳で、後部座席に3人追加して播磨へ。
かつて、相方が卒論でお世話になった時は「喜多方らーめん」に連れて行っていただいたそうで、いきなりその店を探すことに。
見つからない・・・てか、何年前の話だよ!
ということで、込んでいるラーメン屋さんへ。ここで、t-mattさんのように写真を撮れたら格好いいのだが、思わず何も考えずに食べてしまう。修行が足りない。ここで、相方&チビ軍団は別れて海へ。
で、研究会。
振られまくって冷や汗。思いつきを話すもあえなく撃沈。でも、きちんと例示をして反論が貰えるのは非常にありがたいことです。
淡路の須恵器、はじめて見た・・・。
いくつかの器種の形状は、やはりこちらのもの、なんでしょうけれども、宮都でこれを分類するのは、難しいぞ。
やはり、地道にこういう資料を繋いでいかないといけないなあ。少なくとも、古代史へ参入は難しいし、地域の歴史を語ることも難しいと思います。
投稿者 あかねだ : 03:58 | コメント (4) | トラックバック
2006年04月11日
20060411 恐縮です
薩摩焼な日々のwatanabe先生のブログからリンクを頂いていました。お恥ずかしいですが、ありがとうございます。しかし、よくこんな場末のブログを見つけましたね・・・。
watanabe先生は我が相方の指導教官なのだ。
そんなご縁で、鹿児島に行くときは時々研究室にお邪魔しています。
鹿児島大学の先生方は上品で気さくな方が多く(相方いわくゼミでは怖い先生だったそうだけれど)、初めてお会いした時から、とても楽しくお話をさせていただいています。昼休みの時間をオーバー気味になるまで喫茶店でお話をさせていただいたこともありました。
ということで、今後ともよろしくお願いいたします。近々工作員を送り込みますので(笑)。
投稿者 あかねだ : 20:21
2006年02月22日
20060222 田辺先生が天に昇られました
訃報:田辺昭三さん 72歳 死去=元京都造形芸術大教授、考古学専攻
須恵器の年代観といえば田辺編年が代表的なもののひとつ。この基礎があってこそ、今の議論が出来ている、といっても過言ではありません。
先生とは入所した年の秋の研究会の懇親会で、色々お話を聞くことが出来たことを思い出します。
挨拶した若造に一瞬ちょっと眼光鋭く「若い人がどんどんやらないと駄目だよ」。
その時に既に「体が悪いから」とおっしゃっていたのですが、残念です。
空の上から若造のあがきを笑ってやってください。合掌。
投稿者 あかねだ : 22:26
2006年02月19日
20060219 埼玉は遠かった
前に書いたのですが、昨日今日と注目のシンポジウムでした。
おそらく、今後の研究の方向性を決めるような。
行く気まんまんだったのですが、とても行ける状況ではない・・・当日朝まで葛藤しましたが、まずは積みあがっている仕事を解決しないと、と断念。代わりに東大阪まで某研究会にいってきました。南河内考古学研究所のおがみさんの発表。考えること多数。早く今の仕事を終わらせて次に・・・と研究会に出ると思うのですが、日々に忙殺されてしまうのが実態(涙)。
てな訳で、家にいたのですが、対して仕事が進む訳でもなく、かなり遊んでしまった。気が焦るのみ。この気持ちがよくわかります。時間があったら竿持って海に行ってしまうもんね。多分(<おい!)。
追補:しかし、こういう時に限って料理なんかにも凝ってしまう。
昼は豚肉の白菜包み蒸し。夜は鳥そぼろに水菜サラダに豚の生姜焼き。
お茶は上等のプーアル茶。うーん、豪勢。
投稿者 あかねだ : 21:45
2006年01月15日
20060114 名古屋大学へ
名古屋大学大学院文学研究科プロジェクト 物質文化の歴史学再考-「文化コンテクスト学」の構築をめざして-
に参加してきました。
日時:2006年1月14日(土)10時 - 17時
会場:名古屋大学大学院文学研究科 237講義室
10:00 - 10:30
開会挨拶 杉山寛行(名古屋大学大学院文学研究科長)
周藤芳幸(名古屋大学)「コンテクスト学としての物質文化研究」
10:30 - 12:30 セッション1:コンテクストとしての年代
小田寛貴(名古屋大学)「日本古代・中世の資史料の炭素14年代測定」
山本直人(名古屋大学)「縄文時代の終焉年代の刷新とその評価」
森岡秀人(芦屋市教育委員会)「弥生時代年代観の再検討」
13:30 - 15:45 セッション2:古代日本における史料と物質文化
梶原義実(名古屋大学)「手工業生産からみた奈良・平安期の地方社会」
高橋照彦(大阪大学)「古墳・寺・焼き物 -日本考古学からみた文献史料-」
古尾谷知浩(名古屋大学)「「律令的土器様式成立の背景」再考」
佐藤信(東京大学)「モノと史料が語る古代史 -遺跡・遺構の歴史資料学-」
16:00 全体討論
浮神unitより
朝起きたら腹痛&ちょっと熱っぽい。眠くならない風邪薬を飲み、ドリンク剤を注入して気合を入れます。奈良市のIさん、京大のSさんと待ち合わせして一路名古屋へ。
名古屋大に到着。でも、車の入り口がわからずにぐるぐる・・・。ど?どこ?もしや馬鹿は入れてもらえない?ってやっているうちに会は始まりの時間に、ようやく入構できて途中から参加。内容の割に参加者少ないな・・・。
この日は世界考古学会議中間大会、関西陶磁史研究会、考古学研究会岡山シンポ・・・と興味深いイベントが目白押し。しかも、名大のシンポはあまり知られていない(私も直前まで知りませんでした)ようで、少数精鋭の研究会になりました。
発表された高橋さんから「どこで知ったの?関西に案内回ってた?」と聞かれた位で、もっと宣伝していただけたら、盛り上がったと思うのですが・・・。浮神unitが唯一の情報源で、ネットの有効性を本当に感じた瞬間でもありました。会場でもお会いして同じことをお話しましたが赤塚さん、本当にありがとうございました。
午前中の年代論は正直あまり関心は薄かったのですが興味深く拝聴。特に小田さんの話にはなるほど、と。古代の木材利用は転用、再利用が多いのは出土資料をみればよくわかることで(柱>木樋とか、床材>礎板、貫>井戸枠とか)、ご指摘の通り木材の伐採と最終廃棄に時期差が現れるのは納得できます。むしろ、そこまで読み取れるのであれば、材の履歴も明らかにできそうですね。学融合のありかたについても提言があって興味深く聞きました。
会が終わってからちょっと話したのですが、考古資料、あるいは史料、それに理化学的年代決定の情報が豊富な古代宮都の資料で是非研究ができたら、もっと面白いと思うのだけれど・・・。正直、色々な分野の参入が難しい時代の年代を提示されても、私は是非を判断しにくいです。
もっとも、絶対年代(暦年代ではない)を求める手法としては有効性が高まっていると思いますので、より洗練していくためにも、古代の考古資料の分析を是非進めていただきたいなあ、と。
さて、やはり私の興味は後半。
梶原さんの発表は土師器でも同じことを考えていたので、納得しました。もちろん、同じ窯業製品でも異なる点が多いのですが、そこから見えてくる基本的な律令国家に対する認識は更新されていくべきだと(その後で古尾谷さん、佐藤先生から考古学側の認識が遅れていることはやんわりと指摘される訳ですが)。もう一度なるべくフィルターを除去して資料を見てみようと感じました。
高橋さんの発表は古墳の被葬者の議論が面白かったです。平田梅山古墳は実際に宮内庁の見学会に参加したこともあり、特異な葺石が気になっていたのですが、観点を変えてみることが可能かな、と感じました。
古尾谷さんの発表は同僚だった頃、毎日昼食をつつきながら教えていただいたことをまとめられたもので、復習になりました。古代史の立場で古代の土器のあり方について発表されたものには浅香先生、関根先生、鬼頭先生のものがありましたが、中堅の研究者で研究を推進していただけるのはありがたいことです。今後ともよろしくお願いします。
佐藤先生の発表は歴史史料としての文献から考古資料、そして景観といった様々な情報の活用を適切に説明されていました。そもそもかつての「国史学」ではこれらの研究対象の境などなかったのだ、という指摘は大切だと思います。もちろん、情報が限定的だからできたのだ、とか、個々の領域の研究の深化が進んだ今、それは難しい、という意見は当然あるわけですが、それならなおさら個々の研究領域の連携をどうとって行くのかを模索する必要がありますね。
・・・って、当たり前か。でも、昔から言われているけど、解決されていない問題なんですよね。
熱が上がり朦朧としたところでコメントを一瞬振られそうになって焦りましたが、復活したのでここでコメントを。
しかし、このメンバー、この内容、とても贅沢な研究会でした。特に古代を研究対象にしている人には必見の研究会だったと思います。討論の司会をされた周藤先生の絶妙な発問にも脱帽。無理していってよかった、と久し振りに思える研究会でした。
名古屋大学のスタッフ、すごいかも。今後もこういう研究会を
夕飯はいつもの矢場町へ。今池と悩んだんですが・・・。帰りは感想や研究の話をしながら奈良へ。話と頭痛のお陰で眠くなることもなく帰宅しました。薬飲んでばったり。
投稿者 あかねだ : 12:57
2005年12月24日
20051223 豪雪地帯に突入
前からお願いしていた各務原市埋蔵文化財センターに資料見学に。
図書館の上にある、綺麗なセンターです。
以前から、Wさんに「休日も開いているから、是非おいで」と声をかけていただいていたのですが、なかなか行けなくて、この度お邪魔しました。
が、大雪。
朝早く同僚のOさんと近鉄特急に乗り込んで、しばし睡眠。
目を覚ますと、名古屋は大雪。
ひー。
そういえば、岐阜はもっと豪雪地帯だった筈・・・。
予想通り(<あたり前)
で、暖かい収蔵庫(生まれて初めて)で、じっくりと観察。
Oさん、京博のOさん&斎宮のMさん夫妻と総勢4名で収蔵庫をあっちこっち。
美濃の須恵器をじっくり観察できました。
今まで群別で指標としていた特徴、そうでない特徴を生産地で確認しました。消費地で活かしたいと思います。
ただ、やはりまだまだ何度も見て、生産地の特徴を見極めていかないと、須恵器から年代を語るのは難しいなあ・・・。
センターの皆様、ありがとうございました。
帰りは名古屋で味仙。やはり旨い!
2005年10月30日
20051030 只今対外試合で苦戦中
この週末は、締め切りが非常に迫りまくった原稿を2本書いています。
ひとつは、論文じゃないレベルで誤魔化せそうなんですが(<オイコラ)。
問題はもう一つの方。
私、語学が全然駄目なので(努力はしてますが)、外国ネタはなるべく敬遠というか、出来ないことはしないようにしているわけですが、職を得たときから加えてもらっている三燕の資料調査のまとめで土器のことについてちょっと書かなくてはいかんのです。
で、とりあえず日本流の観察などしてみたわけですが。
難しい・・・。
大体、素養がないのに何か言おうというのが無茶な訳なんですけれども、やり始めると色々面白くなってきて、ずるずると色々調べ始めたりして、逆にどうにもこうにもならん状態です。
うーん。もう少し早めに始めるべきだったか。
しかし、三燕の土器、特に晋から前燕あたり(三~四世紀)の壺って、なんか親しみのある器形だなあ、と思っていたら、東関東から東北にかけての弥生土器によう似てますよねえ。初めてみた時に「お!十王台式だっ!」とか思ってしまいましたから。櫛描文+附加条縄文と暗文の違いはありますが、頸部は垂下する直線、胴部は格子状と文様のパターンも似ているなあ・・・。
と、現実逃避。妄想は色々できますが、それは置いといて。さて、原稿書きに戻りますか。
投稿者 あかねだ : 19:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月24日
20051023 考古学協会福島大会
考古学協会に久し振りに参加してきました。
「7世紀の東日本-変革期の諸相-」というシンポジウムを拝聴。
勉強になりました。うん。
特に今泉先生の話は、文献を中心に研究されている歴史研究者には当然の知識なのかもしれませんが、東北地方南部のイメージを得るのにとても刺激的な話でした。
でも、全体的にちょっと不安。
本当にこの土器7世紀前半なの?とか、飛鳥の大別を使うのはちょっと・・・とか。
前に某所で発表しましたが、杯の形状の類似性のみで陶邑と同時期と判断するのはちょっと無理がある気がします。
実物を観察した訳ではないので、いい加減な話ですが、実測図から多分想定される作り方とそれによる形状は、陶邑と考えているI群、II群ではないと思います。
より近似する東海産の須恵器が7世紀前半に古い要素を残すのは、宮都での共出例からほぼ確実。
それから、ある土器の時期が上下すると他も全部同じ幅で上下すると思っている人も多いようです。あげたら数型式先で矛盾する、とかいう批判が出たりして。ところてんではないのでそんな訳はないのですが。
ま、これには私も多分若干の責任があるんで、ネタばれしそうな評論してないでちゃんと論文書かなきゃ。
と思いついて帰りの新幹線は集中して原稿書き。こういうのは早く進む。でも、他にしなきゃいけないことが沢山あるんだよなあ・・・。早く終わらせよう。
こういう土器の話をすると、よく言われるのが「そんなことどうでもいいから、歴史を語れよ」ってこと。でも、土台を固めずに一足飛びにそこに行くことがいい事とは思えないんですよね。
最近、色々な地域の古代の土器を見せてもらう機会があって、全く違う解釈ができるかもしれないな、というところが見えてくる資料に出会うことが多くなってきました。もう少し地道に資料を見学して検証しなくては。
11時に帰寧。疲れたあ。