2006年11月14日
20061114 朝陽に久し振りに行く
国破山河在 城春草木深 ・・・。
天宝元年、六ヶ国語を操る混血児は平盧節度使になり、ついで三節度使を兼ねるまでに出世した。
天宝十四載、彼が指揮した大軍は洛陽を、ついで長安を陥れた。
そう、彼の名は安禄山。
彼が生まれ育ち、力を蓄えた平盧、営州柳城に行ってきました。
ここは、その少し前、慕容氏が作った前燕が河北を押さえた時代の首都でもあります。
多くの民族が融和し、生活を今でもおこなっている場所です。
11年前、瀋陽から車で丸一日かかった(寄り道したこともありますが)街は、高速道路の開通で三時間ほどで行けるようになっていました。
驚いたのは、街がとても綺麗になっていたこと。
まずは双塔区の文物管理所へ。このあたりはまだ昔の風景が残っています。
唐墓の資料を中心に観察。ちょっとイメージが掴めてきた。


続いて北塔へ。北魏時代から建つ古い塔です。
遼代に大規模に修造されて、街のシンボル的な存在であります。
かつて雑然とした古い建物に囲まれてボロボロになっていた北塔の周辺は整備されていて、過去の面影は全くありませんでした。
雨ざらしになっていた三燕時代の礎石なども立派な博物館に陳列されていました。よかった。

塔の基壇に上って南塔を望む。
昼は朝陽市の方々と懇親。
帰りに副局長さんが中心になって強化している道場を見せていただきました。レスリングとテコンドー、棒術等の格闘技の訓練所。
オリンピックを目指す日本人のちびっこの写真もありました。頑張れ!!
帰りはぐっすり。
で、瀋陽に戻ってまた宴席。かなり胃腸が疲れ気味。
・・・と、今日は我が家の引越日でした。無事移動終了との連絡に一安心。
ちび二人を抱えての引越御苦労様でした。突発的な事情とはいえ、こういう時に役に立たない旦那ですまん。
明日、日本に戻ります。
投稿者 あかねだ : 22:07 | コメント (3) | トラックバック
2006年11月09日
20061109 最後の長期ロード
昨日から中国は遼寧省に来ております。
引越しも、予想外の展開をみせて、引渡しが早まり、中国から帰ったら、元の家はありません(涙)。
ということで、出発前夜に大型本棚の解体と、自分の部屋の荷造りを完了させてから3時間ほど寝て、関空から飛びました。
正直フラフラ。足腰肩痛いし。
で、昨日今日と白酒の乾杯で頭が麻痺しております。
2006年08月31日
20060830 夏休み@職場
今日から3日間の夏休み。
で、休みとって、職場で仕事(涙)。
9月にチャンスがあれば、と思ったら、一日も空きがないので、泣く泣く行使。
結局、11年いて、フルに休みだったのは昨年のみ・・・。
まあ、仕事が遅いのが悪いのですが。
で、朝からトレースして原稿打って、時々ネットで調べ物したり、ソフト落としたりしました。
あまり普段と変化ないですね。お茶飲みまくった位かな。
8月末締めの某A遺跡の報告書の担当分をなんとか放り出したい(もう、だんだん中身だのなんだの言えなくなってきた)。後一息。
明日の午前中は某幼稚園の説明会で、夏休み唯一の自分と家族のための時間、午後は香山の麓へ。明後日は某研究会の発表資料作らなきゃ・・・とほほ。
さて、家に持ってきた残りの仕事するか。
投稿者 あかねだ : 01:14 | コメント (8) | トラックバック
2006年07月16日
20060712 発掘調査マニュアル作成委員会0712
何というか、気が重い・・・。
人を納得させるには、実績が要る。
できれば、それを示してその方向性を先導して走ることができれば、それに越したことは無い。
でも、まだ始まったばかりなのです。
現状から乖離しないところで、出来るところを前進させる努力と、先を見据えて走る努力が必要ですが、どちらかしかなければ、再びあのような事件や有効であるのに取り入れられないいくつもの方法のように不幸な遠回りをしてしまうのではないかと思います。
という感じで2日目。疲れた。
ともかく、課題は見えている。解決策もいくつかの目処はある。後は、横に広がる特別史跡で試行錯誤をすすめたい・・・。
投稿者 あかねだ : 01:30 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月11日
20060711 発掘調査マニュアル作成委員会0711
ここのところ、色々あったのですが・・・archaさんはいらっしゃって面白い話がお聞きできたし、病気だなんだと色々。とりあえず、更新が止まっておりました。
で、只今したたか酔って帰還。
で、マニュアル作成委員会の初日終了。
・・・疲れた。
正直そうなのですが、事務局と言いながらでんでん寄与していない私が言うと磔にされそうですね。
言いたいことももっとあるのですが、自重気味(<あれでかよ、とこちらも怒られそうですが)。
あーようしゃべった。
マニュアルの意義は多々ありますが、やはりひとつは必要な手段なり、方法を現場で実践する上で、それを導入する意義を説き、また説得するためのひとつの根拠になって欲しい、ということがあります。
現場で奮闘している人達の助けに本当の意味でならないと。
だから、必要な機材は明示しておきたいし、文化財探査も年代測定法も様々な文化財科学もきちんと位置づけをしておきたい。
まだ経験の少ない方が手引きを読んで方法を知る、というのも大事なことですが、それだけじゃない。と。 という訳で明日も頑張ろう・・・。
反対意見も多かったけれど遺跡探査にこだわったのは、そういうことで。
探査、というとレーダとか電気探査とかの物理探査、と思われるかもしれませんが、さにあらず。
40年前の「手引き」にも地図利用、空中写真の判読、電気探査と14pを費やして書かれていました。このような発掘以前の情報収集の段階を放棄することは、遺跡を考える、という努力を捨てることだと思います。掘らなくてもわかる情報は沢山ある。まずはそれをおこなうことから発掘ははじまるのではないかなあ、と。
その方法を導入する根拠は?と聞かれた時に示すことの出来るものは少なからず持っておきたい、と思います。手引きが全てではないけれど、このような指針から抜け落ちることはその基盤を失うことではないのかと。そこが薄れた時、その有効性とは別に、縮小は避けられないのではないかな。
そして、それが有効だ、先がまだある、と思うのであれば、なおさら。
最も、縮小化した世界で特化して生き残る、という戦略もあるにはありますが。
正直、この手の会議はそういう場なんではないかと。
といいつつ、GISを忘れてしまった(汗)。最近やっていない&興味が低下したこともあったけれど我ながら馬鹿さ加減に・・・。
投稿者 あかねだ : 22:11 | コメント (7) | トラックバック
2006年06月25日
20060618 日本文化財科学会2006
本日は東京学芸大学へ。
日本文化財科学会。
うーん、場違い度80%。
その前に、欲しいものがあって秋葉原へ。
お店はどうやら11時開店が多いようで、目的のものは断念。投売りの金属探知機@500円Get。ばらしてみよ。
という訳で、中央線で寝ていると、危うく乗り過ごしそうに。国分寺駅で降りて歩きます。
・・・・・・遠い。
会場の前では、職場の先輩Tさんに遭遇。これから北へ旅立つらしい。大変・・・?。
職場の元先輩で、実行委員長のK先生にも御挨拶。
まずはポスターセッション。
面白い成果が色々。KK大学のN先生に甕棺墓の蛍光X線分析の成果をお聞きしました。面白い!自分のフィールドにも応用できる発想で、これは試してみる価値がありそうだなあ。
OR大学のSさんの須恵器の流通についての成果は、じっくり拝見。
ta-niiyanさん、D大のTさんと話。GIS、進んできてますね。
同じ大和にあるG研究所のTさんと立ち話。奈良ですりゃいいのに、と二人で笑いながら、遺構の記録について、色々考えてみよう、という話を長々と・・・。できれば、興味のある人に来てもらって、研究会をやろう、と盛り上がりました。 その後、A社のS君と話。いいたい放題放談。本気にしないでね(笑)。
大幅に遅れて発表会場へ。
うん・・・。
興味深い研究も多いのだけれど、ん?という研究も。
平城京の資料を対象に熱ルミネッセンスによる年代測定のお話は、期待していたのですが、やはり年代の幅が・・・。
しかし、窯業製品を相手にしている人間としては、魅力的な方法の一つです。
で、今後より幅を狭めることのできる可能性はあるのかなあ、と聞こうと思っていたら、別の方が同様の質問。で、その答えは・・・。
「難しいと思います」
・・・駄目かい!
この時代は史料を基礎とした歴史学の連中と渡り合おうというところで何とかやろうとしているのに、それはちょっと厳しいんじゃないでしょうかね。もちろん、古い年代であれば、対象としている時間幅が長いので、有効なのですが。
単なる方法の開発のために年代の絞れそうなところで分析して妥当性を検証、というのはわかりますし、どの方法が最も良い成果を出すのか、を考えることを目的とされているのはわかりますが、それだけなのかなあ・・・。
少しでも可能性があるんだったら、資料はどんどん提供すべきと思いますが、これじゃあ厳しい。
やはり、実際に歴史を考える情報を生み出すことに寄与できるものでないと、何の為にしているの?という疑問が出てきます。資料があるから、ってのは、やはりむなしい。
別に、文化財科学に限らず、考古学にもそれは言えることですが。
そして、それは考古の側からも言っていくべきことなのでしょうね。
学際研究、なんて言葉は古びてきましたが、ひとつの面白い「ネタ」として文化財をテーマにすること、逆にただの便利屋、技術屋として分析をしてもらうこと、もう止めにできないかなあ。
あ、ちなみに会員ではござんせん(汗)。
しかし、参加費が会員と非会員で1000円しか違わないのは、嬉しいやら、それでいいのか心配するやら(<余計なお世話)。
投稿者 あかねだ : 00:55
2006年05月11日
20060511 前進中
原稿2/3提出。後の1件も図版の引用と文章の推敲を明日すればいけそう。
ふー。
本日、コンピュータも発注。
レーダー探査機到着。
6月には業務を本格的に・・・って、部屋の掃除する段階で梅雨か!?マズッ。
とりあえず、空調も直ったようだし、早く作業を進めよう。
後は、データベースとか得意な学生さんが何処かにおらんかな。
投稿者 あかねだ : 23:05 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月01日
20060501 終わりました。
図面チェックして現場へ。
図面を書いて、土層註記。
終わりました!
心配なので、もう一度チェック。
終わりました!!
うれしかったので、円匙投げ開始。
ぜえぜえ。
もう、若くは無い。
色々事情があって2人の若者&3名のバイトの学生さんには非常に負担をかけましたが、無事終了できて感謝感謝。
で、帰ったら、現場&こちらでの仕事を残している自分の机にはよ出ていけとばかりに貼紙。
あの・・・もう少し配慮ってものはないのでしょうか。
散々こき使って、これですか・・・。
瞬間頭に来たので、全部箱に突っ込んで、無理やり撤収。
・・・仕事頼まれた時の対応、ちょっと考えさせていただきます(ーー#)
と言っても、仕事は仕事。命令がきたら、せにゃいけませんが。
これでぱっぱと北に行けそうなので、まあいいか。
明日には、完全撤収してやるぞ(詰まれた仕事?当然、後回し<自爆パターン)。
投稿者 あかねだ : 23:28 | コメント (4) | トラックバック
2006年04月28日
20060428 プチ現場見学会をしてみる
写真は後で出します(職場に忘れたあ)。
朝Mさんとの会話。
Mさん 「問い合わせ来てるよ、見れるのか?って」
あかねだ 「うー、道からは無理ですよね」
Mさん 「無理、って言う?」
あかねだ 「それはちと酷いよねえ」
Mさん 「でも、周り崩れそうだし、他所の畦歩いたら苦情来るよ」
あかねだ 「あ、前の現説のコース再利用してよければ、今日だけ通路つけましょか?」
Mさん 「じゃあ、任せた」
ということで、本日限定で見学通路をつくることに。たたっとトラロープと仮設杭でコースを造りました。
でも、何しろ現場なので、怪我でもされたら大変。
という訳で、手書きの看板には、でかでかと注意書き。センスなし。
今日はいい天気。
早速、遠足の小学生達が入れ替わり立ち替わり・・・。
なかなかの人手。
今日は最後の詰め。図面作業。しかし、天気が良すぎて目が眩む。F室長が現場でサングラスを離さない理由が少しわかる気がする。
偏光グラスだと分層とか遺構の確認がしやすくならないかなあ・・・。今度釣り用の奴で試してみるか。少なくとも目には優しそうだ。
時々見学者の人と話したり、研究者の方々の意見を拝聴したりしながら作業。やはり聞かれるのは池なのか溝なのか・・・。埋め戻した後、レーダ探査してみよう。
ところで
土層が複雑で作業が進みません。
情報考古学会で泉先生がHarris matrixや土層の観察記録の話をされていたけれども、本当にそういうのをきちんとするべきだなあ。
昔、院生時代にBASPというソフトで試したことがあったのだけれど、すぐに挫折(几帳面でないので)。
とぼーっと考えて(慢性寝不足)気がついたら、砂まきががんがん進んでいました。
帰って写真のIさんと土層の話。標準化を探りたいですね。やはり、観察項目とか、色のつけ方とかは統一可能だと思うんだけれども。はやく公開されないかなこういうの。
落ち着いたら、こういう項目ごとの研究会とかを開いてみたいなあ(土層とか技とか実測とか図化とか)。興味ある人でこじんまりと。
で、週明けにK親分(都城調査部長)が来る、とか。遅いですぜ、大将。
投稿者 あかねだ : 23:41
20060427 小墾田宮に関連するかどうかはわかりません
報道されつつありますね。
まあ、いつものことで、ニュアンスが・・・。
西日本新聞社さんfrom共同通信社さん、かな?
石組は、池か溝かはわかりません。調査区の端で出ているので、詳細は周辺の調査をまつ必要があります。
小墾田宮の関連施設や有力豪族の邸宅跡だった可能性がある。
確かに、小墾田宮の有力推定地の隣ですが・・・。邸宅にしては狭い。
周辺で見つかった土器などから、築造時期は推古天皇死去(628年)後の可能性が高いとしている。
あ、そうなんだ。
じゃなくて、そんなこと言ってないぞ~!
整地土出土土器群から今回の遺構の構築時期は小墾田宮の造営時点までは遡らないので、小墾田宮と関連するかはようわかりません、という話はしましたが・・・。
また、納税者代表を自認する研究所OBのセンセから怒りの電話とか来そうだ(苦笑)。
今回の発表のキモは、今まで七世紀前半の遺構が希薄とされていた地域にいきなり石組とようわからん杭列があることがわかったので、周辺をちゃんと調べる必要がある、ということなのですが。
そんな簡単に結論が出るほど歴史は甘くはありません。
投稿者 あかねだ : 00:26 | コメント (2) | トラックバック
2006年04月27日
20060427 報道発表終了
報道発表終了。解禁は本日夕方(TV/ラジオ)、朝刊(新聞)だそう。
くだらない解禁かけたのは誰だ!うちの連中かい(ーー#)と聞いたら、どうも、報道側の都合のよう。昨日言ったのだから、よーいどんでいいじゃないかい。と思うのだけれど。
横並び意識かあ。つまらんなあ。
「大本営発表」形式だと、我が組織やK考研の発表方法は批判されることが多いのですが、果たしてその批判が正しいのか、ただの「お役所」のイメージによるいいがかりなのか、いい加減な批判にきちんと反論するために実は結構考えて発表の方法とかを変えたりして臨んでいるのですが・・・。気づかれてないな。こりゃ。
「記者は足で記事を書くものだ」と、かつて聞いた気がするんだけれど、それはもう古いのでしょうかね。
「何が出てくるかわからないから、また寄ってくださいね」と、いつも言っていたのは、できれば、新展開があった時は、はじめに来た報道の方に記事をひろって欲しい、ということだったのだけれどなあ。取材なんてのは基本的に競争でいいんじゃないの?
ここ2週間、だあーれも来ませんでした(T◇T)まあ、最近忙しいからなあ・・・。
平城にいた時は、また来たの?って位現場にちょくちょく来てくれる記者さんが何人かいて、発表を全員集めておこなわない小規模な調査の成果を記事にしてくれたので、今回もそういう仕事人に出会えるかな、と思っていたのでちょっと残念。
はい、3ヶ月に一度の「大本営発表」だけじゃないんですよ(そもそも、この形式がどうして歴史的に形成されてきたかについても、批判を書かれたり、発言される方は知っていて欲しいのですが)。ちゃんと現場にきてくれれば、もし何かあれば、可能な限り、普通の取材を受けているのですが・・・。実際、そういう取材が記事になっていることもいくつもあるのだけれどなあ。
でも、そういうプロの記者さんが足で書いた記事の存在を知らずに、「あそこは「大本営発表」的な成果の公表しかしない。問題だ!」とおっしゃる報道関係者の方の多いこと。その前に、足を汚して現場に来なさいって。
事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ! という感じ(やや古)。
勿論、夜にまで細かいところを確認に電話してくださる熱心な記者さんもいらっしゃるので、それはそれでありがたいし、プロの仕事の一端を見ることはできるのだけれど。
結局、新展開を知らせることなく埋める訳にもいかず、埋め戻し期限が迫ってくる中、仕方なく急遽記者クラブに連絡した次第。
周りの田圃に水が入ったら湧水&崩落の危険が高まることもあってGW明けには埋まってしまうので、「見れない!もっと早く発表しろ」という苦情が来そうだなあ。「官僚的体質だ!情報の隠匿だ!!」とかいう紋切り型の批判もありそう。でも、今回の状況が確定したのは先週。情報の公開を考えて、何とかぎりぎりの対応をしていることは、主張しておきたいのです。ところが、横並びで公表が遅れた形になったのが、残念。
投稿者 あかねだ : 22:36
2006年03月26日
20060325 情報考古学会に初参加
午前中、平日よりも3時間遅れて起床。よし坊を公園に連れて2人で外出。今日は登美が丘まで。最近彼がはまっているローラー滑り台が設置されています。
山を上り下りし、滑り台をすべり・・・。もうすぐ開通する駅を見に行きました。
で、1時に帰宅してから電車で学園前へ。近所で「日本情報考古学会」がおこなわれる、ということで初めて参加してみることに。午前中の奮闘はちょっとした罪滅ぼし(ーー;)。
既に落伍者となっているこちら系の話。ただ、来週からはそんなことも言ってられないかも、と思い、最近の動向を探ろうと・・・。
早速N先生にお会いしました。
途中、頃合を見計らって外に。事務局のT先生と久し振りに長話。
T氏 「何か、オカルトだか研究だか・・・。最近そういうところに縁があるかも・・・。」
あかねだ 「我々がオカルトを呼んでいるのかも。私が行く研究会、必ずその関係の発表あるし。」
とオカルト好きな人が聞いたら怒られそうな会話。
その後、say-noさん、やまひろさん、アコさん、とネットでお世話になっている方々にも挨拶。
そういえば、この部屋、男性の比率が異様に高いなあ
。
N先生 「いやあ、古墳時代もGIS関連も男性ばかりでねえ」
あかねだ 「先生がそういう世界が好きだとか、呼んでいるとか?」
N先生 「むっ(ーー#)」
と、雑談に花が咲いて終了。
・・・何しに行ったんだ?
今日が本番?のGIS関連のシンポジウム。寝ないように頑張ります。
投稿者 あかねだ : 04:19 | コメント (6) | トラックバック
2006年03月20日
20060320 現説後の現場には苦闘が待っている
今回の石神遺跡の調査は学術目的で、比較的恵まれた条件にあります。
でも、やはり予定期間できっちり終わりたいもの。
最近、予定通りに進んだ調査が多くて、ちょっと油断していたかもしれません。
・・・って、予定通りに進むのは、ルーズな私を諦めた周りの人々がどんどん仕事してくれるお陰なのですが。ありがたや。
石神遺跡の北側一帯は、かなり水が湧きます。
水は高いところから低いところへ流れる・・・筈なのですが、いくら排水溝を調査区の周りに深くめぐらせても、粘土のところはお構いなく高いところから水が吹き出る始末。
土木でいうところのヒービングやボイリングも、ようおこります。
こういう状況への対応も、研究課題だな・・・。
すぐ崩れるし、危ないので、調査の時は一気に排水溝を下げることはせずに、徐々に、しかも段をつけながら、面積を狭めて掘っていきます。
17次調査で、アメリカを目指したのか、七世紀の面から数m掘り下げて古墳時代の遺物を出したバカな担当者もいたようですが。
・・・だって、つまらんかったんだもの。
そういえば、新人研修現場で「任せた」と言われたのでドカンとぶち抜いたら怖いY室長やTさんに「なにすんだアホオ!」と数日怒られたこともございます。
そんな私も宮仕えのお陰で、ちょっとは上品に・・・とはいかず、多分賛否両論の断割を・・・。でも、掘らないとわかんないぞ、こんなところ、普通。
はい、ここ下げてね。っと。
数分経過・・・。
あれ?
(ーー;)あれえ?
なんですか?この状況は??
いきなり回転しだす頭の中。可能性は・・・沢山あるな。
もしや、もしや、延長戦必至?
本当は、早めに下げておけばこれも想定の範疇なんでしょうが、それができないのが、この現場。
つーことで、4月になっても現れない場合は「あ、またアホしたな」と思ってくださいまし。今度はアメリカは狙いませんから・・・。>上司各位。
※といっても、別に目新しい発見なりがあったわけではありません。ただ、現説のときにもちょこっと触れましたが、一見些細に見えることが実は大きな意味を持っていることに気付く楽しみこそが、考古学の面白さの一つではないかと・・・。
投稿者 あかねだ : 23:32 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月14日
20060311 石神18次現説(その3)

ところで、私、現説3連荘です。調査に出る度に話をさせていただいています。前は石神17次調査でした。
まあ、同僚に3年で6回っていうレコードホルダーも居るので、それには及びませんが。
それでなくとも、結構最近話をするのが面白くなってきました。
まあ、話好きなお蔭なのですが。
で、いよいよ発表。大体、私が話をする時は即興です。アドリブだらけ。ただ、毎度混乱するので、メモは手放せません。細かい数値とか、よう忘れます。メモをちらりと見て、軌道修正しながら、話をします。
部長を出汁に使って(すんません)、スタート。途中木簡の説明をしていただいたIさんに突っ込もうと思ったのですが、報道発表と違って真面目なお話のみで隙がなく断念。
しゃべくりまくって終了。ちょっとやりすぎたかな。
説明板の前で話して、その後現地へ。唯一の低地の遺跡で、他の現場と比べたらちょっと汚い状況に見えたかと思います(涙)。
何とか、事故もなく無事終了できました。遺跡に足をお運びいただいた皆様、ありがとうございました。
一応、見学者は3500人程とのこと。今のところ石神レコードです(笑)。観音様のお蔭でしょうか。
打ち上げでは「霊異記に観音様の利益としてもう一話追加すべきだ」とかいう声もありました。景戒様よろしくお願いいたします(^◇^)。まあ、他所様の力も大きいですが(ーー;)。
投稿者 あかねだ : 19:18 | コメント (4) | トラックバック
20060311 石神18次現説(その2)
今ちょっと検索かけたら、結構感想なぞ書いていただいているんですね。
ありがたいですね。ネットは便利です。今後(あるのか?)の参考にします。
で、当日。
朝から晴れ。いやあ、こりゃ凄いぞ。多分。
8:30に庁舎に着くと、電車で出て来た職員各位から。
「リュックしょった人でラッシュだった」
と聞いて、確信。
まあ、橿考研さんが午前、こちら午後、ということだったので、まずはあちらに行かれるんだろうなあ。
で、現場着。
いきなり、もう見学者の方が来ている~(驚)。みなさん、あっちは?(笑)。
準備もそこそこ、開場。
説明会の仕方も、色々あるんですよね。
現場を公開して、ちょっとした説明をする形。
時間を決めて長い説明をする形。
遺構が中心の時は、前者の方がいいと思います。
遺物の時は、長めに説明しないとなんだかな、という状況になりかねません。ぱっと見てわかるものよりも、じっくり考えて初めてわかることこそが、本当の考古学の面白さなのですが。
ともあれ、4現場公開とは思っていなかったし、今回の主役は遺物なので、我が組織としてオーソドックスな形、1回だけど長く説明、ということで、報道発表と案内をしたのです。
が、凄い人出。
「はよせんかい!」という声はごもっともであります。
説明を何度かしようか、という案も浮上したのですが、今度は「言っていた予定と違う!」と苦情が来ることが必定・・・。いつものことなのですが。確かに、両方とも正しい意見だと思います。
せめて、早くいらっしゃった方々に資料だけでも、と思ったのですが、到着が遅れている、との話。これじゃあ、説明を早くするわけにもいきません。
そんなこんなしている間にも、どんどんお客様はやってくるのでありました。
遺物が到着すると、遺物を押しつぶさんばかりに・・・。
通路を作るべきだ、という声もありましたが、そうすると今度は説明時のスペースがとれない・・・。
広い田圃が、あっという間に埋まっていきました。
(続く)
投稿者 あかねだ : 18:52
2006年03月13日
20060311 石神18次現説(その1)
準備をしていて、こりゃあ、まずいかも、と思いました。
説明会でもない日に続々と人が・・・。
連日の発表、春めいてきた気候・・・。
1月のとある日、現場の作業の切れ目に浄御原宮にお邪魔して、担当のHさんに
「いつごろ現説します?」
「三月上旬かなあ」
「あ、じゃあ、同じ位に・・・」
と、かるーく2現場位で合わせようかな、そちらの方が見学される方にもいいよなあ、と思っていたのですが、まさか、島庄にもう一丁大きい現場があろうとは。
現場作業を一段落して、順路の設定等、調査員の判断が要らない作業に入ったところで補助員さんを連れて現場へ・・・。あ、こっちはもっと凄い人だなあ。むむー。
忙しい最中なのに、浄御原宮のHさん、島庄のOさん、両担当者様に丁寧に説明受けたりして、恐縮。
しかし、こんな人が多い状況を、最近経験した覚えが。
・・・甘樫丘東麓遺跡(飛鳥藤原第140次調査)。
そういえば、平城宮での私の最後の現説(平城第367次調査中央区朝堂院)も、こんな感じだったなあ。どちらも千人を楽々超える見学者が・・・。
いかん、人が来るに違いない・・・。
という訳で、作業長さんに連絡。急遽借りていた調査区南側の田圃に設置していた看板を一度引き抜いて通常の数百人用の配置から、大量人数対応に。
椅子も増強・・・え?ないの?使ってる??
資料も増刷。いつもの倍。
と、どたばた。
ただ、ちょっとだけ「これだけ騒いでいつも通りだったらちと怒られるかな」とも思っていたのです。
あ、後、石神遺跡で「ここが浄御原宮で、あれが建物の・・・」と説明される人とか
「ここ浄御原宮ですよね」
「ちゃいますけど」
「えー、なんだあ、写真撮っちゃったあ」
なんて方も結構いらっしゃいました。
(続く)
投稿者 あかねだ : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月10日
20060310 準備完了お待ちしておりますm(_ _)m

明日、飛鳥藤原第140次調査 石神遺跡18次調査の現地説明会をおこないます。
午前10:30頃より調査区を開放いたします。
説明は、午後13:30からです。
当日は、橿原考古学研究所の飛鳥浄御原宮、石舞台古墳東南隣接地(島庄)の現地説明会、明日香村の島庄遺跡の公開があります。橿考研さんは午前ということで、こちらは午後にしました。飛鳥の遺跡の調査成果を御覧頂くチャンスと思いますので、是非足をお運びくださいね。
今回の調査でも特に、飛鳥浄御原宮は圧巻です。おすすめ。
で、今日は看板を建てたり、掃除をしたり、順路をつくったりと準備に追われました。
午後は晴れ間、という予報を信じていたのですが、掃除が終わってからかなりの雨(涙)。
とりあえず、準備終了、と帰ろうとしたら、車がぬかるみに入って身動きがとれなくなりました。
で、危うく下の田圃に転落しかけて・・・(涙)。軽バンがずるずると・・・。
運転席が傾いた瞬間「明日はギブスで登場ってのも一興かも」と思ってしまったので、かなり疲れていると思います。
結局、降雨で早めに現場を終了させたのに、庁舎に帰ったのは18:00でした・・・。あー疲れた。
これから、話すこと考えます。
投稿者 あかねだ : 19:43 | コメント (4) | トラックバック
20060310 新聞見てびっくり
本日朝刊から今回の現場、石神遺跡の成果を報道解禁しました(TVは昨日)。
様々な御反響がっ!ありがとうございます。
某光学機器メーカーの話も、観音信仰の浸透ということで何気に触れたら(あと、ダライラマとポタラ宮とかね)、そいつもしっかり記事になっていましたね。
で、驚いたのは、某新聞社の記事。
「最古級の下駄」
え?
ええええっ!?
そんなこと言ってないぞ・・・。
関係各方面から、「奈●研(何故伏せ字?)は馬鹿だ」と強烈なツッコミが来るじゃないか!
まあ「あかねだは馬鹿だ」はいいとして。
しかし、無学な私でも同様の下駄は古墳時代に木製品としても、滑石製模造品としてもあることくらいは調べております。
早速、職場のOBの工楽先生(元センター長。大学の大先輩でもある)から、韓国の例を、そして同じく職場のOBの金子先生(元部長)から、「よく調べろ、コラ」というお叱りを。
そりゃ、怒りますよねえ。普通。
で、なんでこうなったのか、解説を。
最古級、初源的と評価したのは、下駄ではなくて(こちらは古墳時代の例を紹介)、同じ遺構で見つかっている祭祀遺物でした。
銅製・木製の人形、斎串、舟形木製品、鳥形木製品等が出土しています。
金子裕之氏(↑の元部長さんです)は人形の確実な出現が天武朝であり、これらの遺物が大祓と関連があることを指摘しています(金子裕之1999「仏教・道教の渡来と蕃神崇拝」『古代史の論点5』小学館)。この論に則って、飛鳥池遺跡と並んで天武~持統朝における初源的な祭祀の一面をうかがわせる、と解説したのでした。奈良時代の組み合わせと近いものが、七世紀末には完成しているのかも、と考えたのです。
ちなみに、これらの遺物は15・16次調査でも出ています。目新しいものではないです。
その後で、他に下駄や琴柱といった生活用具や楽器の部品の出土も、といったのを聞いてどうやら最古級=下駄となってしまったようです。
さて、そうは解説しても、「そんな弁解してもやっぱりお前の説明が悪いんじゃないの?勘違いするような説明したんだろ。」という疑念はぬぐえませんねえ。
・・・(ーoー;)ま、まずいっ。
ただ、別の新聞社の記事では、きちんと人形等の祭祀に関連する遺物を「比較的早い段階の祭祀具とみられる」とこちらの話に近い状態で報道していただいているので、ニュアンスは伝わっていると思うのですが・・・。
報道発表って難しいなあ。
投稿者 あかねだ : 18:53 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月08日
20060308 空撮終了
現場の空撮・地上撮影が終わりました。
飛鳥は春霞。

久し振りにヘリコプターに乗って、飛鳥の上空へ。大和三山、甘樫丘、雷丘、飛鳥寺・・・。
いい風景だなあ。
次乗れる機会が来るのかわからないので、遺跡だけでなく、周辺もD100で撮りまくって来ました。
しかし、春霞で全体的にぼやけた感じ。残念。
地上撮影は順調。いい光だなあ、と写場の井上さん。暖かくて、少しのんびり。かえるも一斉に出てきた様で、遺構の中をぴょんぴょん跳んでいました。
これで、また現場の峠をひとつ越えました。後は週末の現地説明会だなあ・・・。どんな趣向にしようか、ちょっと考えよう。
好天で、前日の橿考研の素晴らしい成果もあってか、遺跡の見学者も多数。土曜までもって欲しいと願っています。
投稿者 あかねだ : 19:48 | コメント (6) | トラックバック
2006年03月03日
20060303 記者発表がおわりました。
最近、ブログの更新もままならぬ状況です。
というのも、今日は只今調査中の石神遺跡の記者発表。準備に殊の外手間取ってしまい、かなり寝不足。
今日の成果は途中Iさんとネタあわせなしに漫才状態になったところでしょうか。
・・・記者を前に研究者が喧嘩、というのは見たことがあるけど、多分漫才はないと。
しかし、記者発表というのは難しいものですね・・・。
ここ3回、連続して発表担当になっているのですが(廻りが悪い)、今回は一番苦戦した気がします。周囲の方の協力で何とかなった、というのが正直なところ。感謝。
まあ、数日後にこっそり出ると思います。
とりあえず、はじめの山は乗り越えたのでちょっと落ち着けるかな。
後は現地説明会。そうそうそんな機会も無くなりそうだし、うまく締めくくってとりあえずの終わりにしたいと思います。
投稿者 あかねだ : 18:13
2006年01月19日
20060119 銀塩カメラの消滅の先にあるもの
いささか旧聞ですが・・・。
ついにね・・・。
残すラインナップがF6とFM10というのもなんとも・・・。どっちも現場でがんがん使える代物ではないなあ。せめてFM3Aを残し・・・。
発表翌日の朝、日経新聞を見ながら、写真室のIさんと色々話。
といっても、私は写真は素人なんで、色々間違っているのかもしれませんが。気づいたことがありましたら御教示を。
心配なのは、広角使いたいときどうするのだろう・・・。ということ。
CONTAX亡き今、35mmフルサイズCCD搭載機がCANON製しかない現状で、デジカメ測量に使える選択肢がないなあ、と。
デジカメはCANONの一人勝ち状況があきらかになっていますね。別に嫌いではないですが(どちらかというと好きなほうかも)、選択肢が見当たらない寡占状況ってのもどうかと思うわけです。
譲り受けた実験用のNIKON F100。前の世代とはいえ、いいカメラです。でも、CCDはAPS-cなので(CONTAXNDやEOS1Dsが出るまでは最高の大きさですよね)、焦点距離は銀塩の約1.5倍、20mmのレンズでカバーできるのは銀塩の30mmの範囲です。
普通の写真ならともかく、実測に使うとなるとこれより広角って訳にもいかないよな・・・。しかし、現状の目標である3m×3mのスクエアの記録を確保するためには、高さをあげなくてはいけないのかな・・・。今度はそうなると簡単に効率的に運用というのが難しくなりそう。
調査の写真を撮るとしても、せめて28mm相当まで欲しいのではないのかな。かといって、レンズ収差が大きくなると記録とは言えないでしょうし。
やはり、35mmフルサイズCCD搭載のカメラが色々なところから出て、安くなってくれるのを祈るしかないのでしょうか。
選択の幅がないってのは、あまり好ましくないと思うのですよ。
投稿者 あかねだ : 18:42
2006年01月13日
20060113 考古資料としての木簡
木簡を考古資料にしましょう(^ ^)b
「え?もう既に考古資料だぞ、当たり前だろう馬鹿」
とお思いの方も多いと思いますが・・・。
でも、出土した木簡は本当に他の考古資料と同じ扱いをされているかっていうと、そうでもないのです。
位置の記録?そんなのしません。グリッドと層のみ。出てきたら即、湿らせたさらしと綿でつくったもの(ザブトンと呼んでます)に包まれて研究室へ。新鮮さが命です。
「残しといて、あるいは図面に書き入れてから上げりゃあいいだろ」
そうすれば考古資料として木簡は使えますね。
でも、それじゃあ、文字見えなくなるよ。
そう、木簡の持っている文字情報、そのお陰で色々なことがわかってきました。反面、空気に触れた木簡はみるみるうちに黒ずんで行きます。だから、詳細な位置情報等はとれておりません。
そういえば、もっと驚くのは飛鳥や奈良時代の木の葉。出た瞬間だけ鮮やかな緑色のものが見えます・・・。掘っている者だけが知る色かも。数分で変色したり、消えてしまいますが。この色を残して、多くの人に見せること、が文化財科学のひとつの目標だと大先輩のS教授がおっしゃったことを思い出しました。
「考古資料として扱うから、ちょっと文字見えなくなっても・・・」
という人は流石にいないでしょうけれども。
既存の研究を阻害せずに、いかに新たな情報を加えていくか、実験をしなくてはなりません。
「でも、溝なんて木簡流れるだろ。細かく位置とっても意味無いよ」
はあ・・・?
どうして意味無いと言える?あんさんどっかで試したのか?
結果を蓄積しないまま、机上で議論されてもね。
考える、そして確かめる。そこまでして始めて「方法」として世に問えるのでは。
はじめから駄目と決め付ける、あるいは検討せずに新しいものにすぐに飛びつく、よくやってしまう二つの間違い、私もついついしてしまうのですが・・・。
という訳で、試行錯誤中。調査スピードをあまり下げることなく、位置情報を取得することをどうやっていくのか、飛鳥の片隅で格闘しています。
またあいつなんか余計なこと始めてるよ・・・と思われていると思いますが、そう、それが私の役目。
投稿者 あかねだ : 22:22 | コメント (2) | トラックバック
2006年01月07日
20060106 いよいよ現場開始
5日からいよいよ発掘現場開始。石神遺跡名物の長丁場現場。引継ぎをおこない、掘削開始。
飛鳥に来てから、2回連続この遺跡の担当になった。
贅沢なものだ。
今回の現場は既調査区の北側隣接地。さて、どうなりますやら。
それにしても寒い!ここ数日は寒さが和らいでいることは確かなのだけれど、外にずっといるとこれ以上下がらないように願わずにはいられない・・・って言っても、まだ1月なんだよね。
そういえば、ここ3度の現場、冬(平城宮中央区朝堂院)>夏(石神遺跡)>冬(石神遺跡)と気候が厳しい状態の時に縁があるなあ。秋とか気候の良い季節に掘ってみたい。
今回の現場は記録の迅速化と効率化を実験してみたい。木簡の出土の可能性があるので、出土した遺物を残して後でまとめて記録なんて悠長なことは言っていられません。史料的な文字情報と考古的な位置情報はこれまでトレードオフの関係とみなされて、実際に現場でも共に葛藤がありました。これをどうにか埋められないかな・・・。史料の人と早速打ち合わせ。現場だけでなく、整理側も含めて検討して行きたい。
・・・で、でなかったらお笑いだけれども。
投稿者 あかねだ : 00:48
2005年12月17日
20071217 研究会を色々と
寒いですね・・・。
今日は車に積雪が。
古代官衙・集落研究会「在地社会と仏教」に行ってきました。
が、どうも体調不良で・・・。
興味深い話が続く中、ぼーっとして休憩に。
最近、3時間位の睡眠時間だったのが、昨日は6時間寝れて万全と思ったのに・・・。
ここで、コーヒーを飲んでようやく頭がまわりだしました。
会が終わって、先輩のSさんとちょっと話。情報交換が必要ですね。
夕方からは島根のUさんと研究所の先輩、同僚あわせて4人でうどんすきをつつきながら研究会の打ち合わせ。楽しくなりそう(^o^)/
投稿者 あかねだ : 23:41 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月11日
20051207 下関へ

朝5:30に研究所へ。兵庫県の西口さんの車に荷物を積み込んで、下関に出発。
近畿道から中国道、山陽道へ。まずは瀬戸内市に。
2回探査でお邪魔した寒風窯跡の発掘調査現場へ。
発掘資料がまだ少ない備前の生産地の様相が明らかになりそうです。楽しみですね。
再度、西へ。

途中、広島から中国道へ。凄い雪!
ようやく夕方に到着しました。
早速現場に。明日からいよいよ探査。
投稿者 あかねだ : 19:55 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月14日
20051114 甘樫丘東麓遺跡
以前にも少し触れましたが、発表されましたね。ちょっと取り上げ方が過激?と思いますが。
Tさん、Kさんをはじめ、現場班のみなさんの努力の賜物です。本当に頑張って掘っているので、得られた成果がきちんと伝わるといいのですが・・・。
こちらは後方支援で上がって来た遺物を楽しみに観察しています。記者発表の時は遺物の番でお邪魔したのですが、いつにも増して凄い熱気と人でした。
今日も早速見学の方が押し寄せて凄かったみたいですね。
ところで、よく勘違いされるのですが(書いちゃっている人もいる)、整理を。
・日本書紀には邸宅を燃やしたっていう記載はないです。焼いたのは天皇記、国記、珍宝です。
・ついでに蝦夷が死んだというのも、紀では己酉に屍を葬ることを許すという記事によってわかるだけですね。「己酉、豊浦大臣蝦夷自尽其第」とあるのは藤氏家伝の筈。
・で、私の持ち場で一番言いたいのは、
甘樫丘東麓から出たから(=蘇我氏の邸宅と考えて)この土器が7世紀の半ばの土器である。
ではなく、
出土した土器が7世紀半ばの土器と考えられるから位置から考えるとこの遺跡が蘇我氏の邸宅に関連する可能性がある。
ということですからね。勘違いして批判されても、困ってしまいます。実際そういう論文もいくつかあって、お前らは都合のいい資料操作をしている、と批判されています(ーoー)。
こういう事項の整理も進めて行かないといけませんね。いずれ、まとめて反論します。
再整理が出た後も飛鳥寺の造営に関わる資料は間違いなくTK43だ!という話と共に、私にはちょっとどうしていいものやら、考えあぐねてます。
水曜日は多分現地でお手伝いしています。見学会にどの位見学の方がいらっしゃるのか、どうなるか、ちょっと怖いですが。
投稿者 あかねだ : 21:14 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月12日
20051112 浮神unit

遂に公開されましたね。新しい試み。
HTMLのソースをカタカタ打っていた10年前とは隔世の感があります。
こういった試みを盛り上げていければいいですね。
投稿者 あかねだ : 09:21
2005年11月08日
20051108 やはり遺跡は凄い
午前中現場を見学に行きました。
遺跡を見て、すごい、と驚愕。しかし、目の前に見えている多量の情報をどうやって記録するのか?という課題はやはりここにも広がっていました。
早く先に進まないと。
投稿者 あかねだ : 21:25 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月24日
20051023 WAC
世界考古学会議World Archaeological Congressが大阪で開かれます。
国際学会、どうせ英語わからんし、やっぱりお値段はるねえ、丁度出費多い時期だしね。と参加をあきらめかけていたのですが・・・。
考古学協会で大阪のIさんに頂いたセッションのプログラムを帰りにみてみると、非常に面白そう。
「土器の多様な側面の探求」なんて、ちょっとそんなこと前に書いたこともあったし、「遠隔地交渉と異文化共生」も面白い話が聞けそう。「考古学から探る阻害・差別・身分」というのも勉強したいテーマだなあ。
そうそう、「情報考古学」(この名称はあまり好きではない・・・情報機器を使った考古学という意味なら、わざわざ分ける必要はないと思うんで。)はレーダー探査、GIS、VRですと?これもやはり聞いて勉強したいなあ。
・・・よーし、何とか行くぞ!と気合を補充して、予定表を見たら、平日なんですね。そういえば現場でした・・・。
しかたない。報告集で我慢しよう(T◇T)。
投稿者 あかねだ : 01:10
2005年10月05日
20051006 朝鮮半島と三燕
只今、三燕関係の勉強中。
中国大陸の諸王朝は強大になると周辺部分が弱体化する。分裂すると局地での力は高まる。
当たり前のことかな。
魏は242年、高句麗の中心であった丸都城(今の集安)を攻略し、東方に勢力をのばしました。有名な 『三国志』魏書烏丸・鮮卑・東夷伝はその情勢下で得られた情報をもとにしたと考えられています。
『三国志』の最終的な勝者である西晋が大陸を統一していた313年、楽浪・帯方の二郡に拠って高句麗の進出と対峙していた王遵と張統は耐えかねて鮮卑の慕容氏に降り、その支配は失われます。
晋は八王の乱の混乱の後、南で東晋が建国され、五胡十六国時代が到来します。慕容皇光(皇光で一字)が前燕を建てると342年、丸都城を攻め落とし、故国原王は前燕に臣従します。
後に強大な力を誇った隋は高句麗遠征の失敗を遠因として滅亡し、唐は新羅との連携によって高句麗を滅亡させることに成功しました。
朝鮮半島を経由した文化の流入や接触を考える上で、高句麗と三燕諸国との関係はやはり無視できないですね。
強大な国家、とかいうけれども、強弱はどのレベルで捉えるかで変わるものかもしれません。
研究も似ているかも。全てを網羅する壮大な議論には個別部分の論証に弱く、個別対象に特化した議論は視点を見失いがちになる。むう、難しい。
と、現状余計なことを考えてしまうのは、やはりどこかに逃避したいからなのか・・・。
投稿者 あかねだ : 22:51 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月04日
20051004 デジタルで泣き笑い
デジタルが人間の労働を楽にする、っていうのは怪しいです。はい。
いつも、苦労しているような・・・。スキルの問題でしょうか?それだけではないような。
でも、その先にあるものを目指して、頑張るんですね多分。
今日、職場について、いつものようにコンピュータの電源を入れる。
待てど暮らせど立ち上がらない。
・・・。
私の机の上には3台のパソコンが乗っている。古い科研の残りのPenIIIマシン、I君が栄転の時に下賜されたDELL、Nさんが定年の時に譲り受けたG4Cube。貧乏性の私は、なんだかんだ廃品になったパソコンを解体してパーツを拾ってきてはつけ、あるいは買ってもらって補強しているので、別に今まで不自由を感じたことはないんだけれど、ダウンすると駄目。仕事になりません。
D社のマシンは一度BIOSが生きてるのにHDを読みに行かなかったので開けてみたら線が抜けてた、ということがあったので、一応分解して組み立て直してみました。
BIOSが立ち上がらない・・・。これは、脳死状態だな。
あきらめて古いノートを出してきてセット、ここで気付いたこと一点。
***LANの端子がにゃい***
周辺を物色するも、USBLAN機器とか、PCMCIALANカードなんてのがあったのは、昔の話。
WINをあきらめてG4cubeを設定して、メールチェックはじめたら、もう昼。
午後はPI3000の実験で藤原宮第六堂へ。同志社の鋤柄先生のところに遅れること2週間。調査の邪魔にならないように実験開始。本当は、我が組織が先駆けて実験をおこなうべきなのだけれど、反省。
デジタルカメラで3Dモデルを作成する、というものですが、やはり気になるのは作業効率。
精度は簡易オフセットと定規の現在の実測の精度が確保できればまずは合格だと思う。
結果を楽しみに待つことに。まずは技術者の方にお願いして、狙った通りの記録ができれば、次はどのように調査の流れに組み込むか、という我々の出番になります。
帰ると、土砂降り。現場班のみなさま、お疲れ様でした。
夕方に声をかけてもらって、3Dレーザースキャナの成果をみせてもらいました。うん、やはりすごいな。迫力のある画像。地形が良くわかって、デモを見ながら議論。こういう使い方もありか。
投稿者 あかねだ : 23:15
2005年09月08日
20050908 たかがラベル
遺物の取り上げの時にラベルを使われるところも多いと思います。一緒に袋に入れておくと、遺物への注記までの間、大切な情報になります。
注記が済んでいない遺物の昔のラベルがふやけて無くなってた、なんて恐ろしい話もあるので、わずかにお値段はりますが、ユポ合成紙等の使用がいいようですね。
ビニール袋に直に書き込む場合も、そのままにしておくと劣化しますので、こまめなメンテナンスが必要です。
さて、最近気になるのは、ラベルの書き方。すごーくつまらん話かもしれませんが。
出土年月日を書くときに、西暦で表す場合(多分元号表記はしないと思いますが)、略して下2ケタだけを書く人が多いんです。今年なら05.
2100年代になったら、どうするんだろう。
どうせ俺たちゃ生きてないよ、とか、
その時に4ケタにすりゃいいじゃねえか、とか、
その頃は記録の方法も変わってるだろ、とか、
そうかもしれませんが。
遺跡や遺物は人類の歴史を知る上で大切な資料であり、人類の歴史ある限り伝えていかなきゃいけない、ってことで発掘してんじゃないの?
考え方は色々あるとは思うけれども、2000年代の我々だけが特別な訳でもない筈だし。
考古学が100年そこらで必要なくなる、という読みなのか?
考えすぎかな。
インクがもったいない、わけじゃないよね。
数字二つ追加するのがそれ程めんどくさいのか?
2000年になった時に「ラベルの年の表記どうする?」と某室長さんに聞かれて、当然4ケタ!と答えたのだけど、結局混在・・・。徹底できなかったこちらにも責任はあるけど。
でも、遺跡や遺物は大事です、なんて言いながら、我々の後の人達が100年後に受ける混乱を想像できないで「護りましょう」とかぬかしても意味ないと思うのですが。
国家は悪だ、と叫びながら国立大学でお給料もらう偉いセンセと同じくらい矛盾しているかも。研究の理想と現実の生き方は違うってことでしょうかね。
そういえば地区名略した奴もいたな。これは論外。流石に現場で長時間説教。
投稿者 あかねだ : 23:16
2005年09月03日
20050903 六本木ヒルズは位置だったら知ってます
昨日は三燕の研究会でした。冷汗。
で、東京は森美術館にて開催されている中国★美の十字路展に、三燕(十二台営子?)の遺物などが来ているようですね。
室長Kさん「見てきたよ」
あかねだ「えええ?そりゃいかなきゃ」
室長Kさん「9/4までだけどね♪」
あかねだ「はよ教えてください!」
無理やん・・・行けないぞ。
ってなわけで、最終日ですが、興味のある方どうぞ。
投稿者 あかねだ : 23:32
2005年09月01日
20050831 三つの燕
三燕、といってぱっと御理解下さる方、専門家か変人、あるいはその両方かも(<おいおい)。
三燕とは4世紀から5世紀前半、中国東北部に拠って「燕」を国号とした鮮卑慕容氏の建てた前燕、後燕、そして馮氏の北燕の3つの国を指して呼んでいます。
隣接する高句麗を服従させるなど、勢威をふるった国で、朝鮮半島はもちろんのこと、間接的には日本列島にも文化的な影響を強く及ぼした国々です。
で、中国語もろくに話せないお前が、何でそんなこと話しているか?っていいますと・・・。
共同研究に参加させて頂いているからなのです。
当然、私の見ているものは容器類。はじめは青銅容器を実測させていただいていたのですが、最近は陶器類も実測、観察させていただけることに。
で、9月末までにこれらについて原稿書かなきゃいけないのですが、難しい・・・。
もっとも、論文、というよりも資料観察記録、のようなものしか書けないとは思いますが。
この時期&地域の焼き物についての研究例って、どんなものがあるのでしょうかね・・・。
2つしか見つからない(涙)。
どなたか、ご存知ありませんか??
投稿者 あかねだ : 17:59
2005年08月05日
火山灰台地の柱穴
今日は発掘現場にお邪魔しました。
昨年まで奈良で色々お手伝いいただいていたIさんが県のセンターに就職されて日々発掘に奮闘されているというので、無理を言ってお邪魔することになりました。
途中迷ったりと着くのが遅くなってしまいましたが、何層にもわたる火山灰の層を丹念に発掘している現場を見せていただき、とても興味深かったです。道路建設にかかわるので広くて、大変そうです。
発掘によって現地形からは想像もつかない地形が過去に存在していたことがわかるなど、やはり、過去の地形を現状で知るのはむずかしいんだな、と実感。
「あっちでは古代の遺構も出てますよ」との話に、急遽お昼時間に別の現場も見せていただきました。
中でも掘立柱建物は興味深かったです。
藤原や平城地域では柱穴は据付掘形と抜取穴で構成される(解体されたものはね)ものが一般的ですが、ここでは円形の痕跡のみ。で、そういう状況を見てしまうとついつい「掘形の確認できていないのでは・・・」と疑ってしまうのですが、徹底的に断割をされたいくつかの柱穴をみてもここではどう見てもありません。柱を据える大きさに掘っているだけ。しかも深く。土が掘り易いからかなあ。
やはり、自分のフィールドのことばかり見ているのでは駄目ですね。
お昼休みまでお付き合い頂いたみなさま、本当にありがとうございました。暑いですが頑張ってくださいね。
2005年07月25日
興福寺大乗院
探査が早く終わってしまったので、長岡京市の方に機材を運んでいただきました。
解析の結果もなかなか面白い感じです。良かった。
成果をお楽しみに。
折角南都に来て頂いたので、興福寺大乗院の発掘現場へ。いよいよ四季真景図に描かれた中心部分の調査が始まります。私はこの遺跡の調査を通じて近世庭園の発掘の面白さを知ったのですが、いよいよ核心部分ですね。
興福寺の門跡寺院には、大乗院と一乗院がありますが、幸運なことに、両方の発掘調査を経験することができました。大量に出土した土師器、庭園の変容、文献や絵画資料との比較、色々課題を得ながら、全然研究できてないな・・・。是非、じっくり考えてみたいと思っています。
