2006年09月05日

20060905 懐かしい景色

 今日から埋蔵文化財担当者研修課程一般研修遺物調査過程(長い)が開始。
 研修というのは、各地の埋蔵文化財に関連した行政機関職員に向けたもので、様々な過程を経て、現在の形に変化してきました。
 一般研修は約一ヶ月の間、新しく担当職員になられた方を主な対象にして基礎的な知識を研修します。
 私も担当室の研究員として、お手伝いをします。

 専門研修と違って、教員から出向した方、開発部局から来た方、出身学部がちょっと関連していたので異動になった方、参加者は多彩。

 やはり、人が集まってくる所で大事なのは、その雰囲気。いつも研修の初めの挨拶をお聞きしている時点で、その研修が良いものになりそうか、予想が付くのですが、今回もなかなかの盛り上がり。

 そういえば、学生の頃、新人の頃はこういう感じだったなと懐かしく。

 研究室に戻ると、Nさんと古都の片隅でのSay-noさんが作業。今日は某研究会の会長の内田さん初め色々な方に来訪して頂いて興味深い話を色々と。

 夕方、Say-noさんのDebianインストールを見ながら、そういえば、Slackwareのディスプレイ設定で苦戦した思い出が・・・。

 やった!できましたあ!の歓声にノートパソコン落としたり(涙)。
 早いな。

 全く先が見えずに作業を繰り返した院生時代や、やまひろさんや、Hさんがいた頃の平城コンピュータ室の風景が戻ってきた感じです。こっちもぼちぼち、失いかけた調子を取り戻していこう。

 懐かしがってばかりいないで、先に行かないと。

投稿者 あかねだ : 00:48 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月11日

20060811 常識なのか非常識なのか

 考古学をやっている人は変な人が多い。というのは常識のようです。
 そういう私が言っているので、あやしいわけですが、最近、自分が持っている知識と、世間の常識なるものの乖離が甚だしいと感じることが多いんですよね。

 よく言われるのが、「あんたのトコロ、のんびり史跡の調査だけやっていていいねえ」なんてこと。
 この前、「そんなものは掘りたいところを大名発掘しているだけのお前達にこっちの苦労がわかるか!ええ!!」とか絡まれてみました。当然、反撃しますが。
 考古学が科学であるべきかは、色々な答えがあろうかと思いますが、学問として成り立つものである以上、批判するなら、その根拠がないといかんと思うのですよ。 
 奈文研紀要の各年の調査概報を御覧ください。ほとんど、原因は個人住宅とか開発行為ですし、狭い面積の調査も多いです。
 元国立の研究所=好きに大規模発掘、というイメージは、おそらく国-都道府県-市町村という枠組みのステロタイプなんでしょうね。

 同様のことで、「お金がある」と思われていることも。
 以前、友人の某企業の研究所の研究員(犬ロボ作っているとこね)と話していたら。
 「やはり時節柄、予算が減ってるんだよね」
 「ほうほう」
 「そっちは?」
 「●位かな」
 「えー!一人で?」
 「うんにゃ、研究室全体」
 「それ、工学系の大学院生一人よりも少ないぞ!それで研究してますとかいえる訳?」
 「へ?」
 と、あまりのローコストに驚かれたりして。

 逆に、研究所唯一のちょっと小奇麗な部屋に来た某市の偉い人。
 「じゅうたんなんか張りやがって(怒)」
 いや、大将、この建物プレハブですよ。それに、一応研究機関として海外の方とかをお迎えする時に、コンクリのたたきの部屋だけじゃマズいでしょ。
 工学と人文学、そして埋文業界、それぞれ常識って違うんだなあ。という当たり前のことを確認したりして。

 それから、この前会議で
 「あのねえ、今時、遺構を調査員とかが測っているトコロなんてほとんどないんですよ。計測担当の業者に任せているのがほとんど。残っていても、もうすぐに無くなるよ」と言われたのですが、それは本当なんでしょうか?
 じゃあ、ここ数年あちらこちらで見た現場の風景はなんだったのか・・・。
 みなさんの所は、どうですか?もし、そうなのだとしたら、私はやはり常識が足りないのかもしれませんが・・・。
 今の立場の目標として、情報取得の効率化を図って各地で頑張っている担当者へのお手伝いをさせていただこう、ということがあるのですが、もしそういうところが少ないのであれば、これはあまり有効ではないのかもしれませんね。
 ただ、本当にそういう状況になっているのか、納得がいかないのですが。
 いずれにせよ、裏づけがなくそれを判断したり、語ることは正しい態度とは言えませんね。これは、一度ちゃんとしたデータを集めてみる必要がありそうです。 

投稿者 あかねだ : 06:22 | コメント (7) | トラックバック

2006年02月12日

20060212 姫路城と文化財研究所

 えらいさぼってしまいました。

死んでる、説も某所では流れたと情報が。
・・・んな訳ないでしょ。

現場が大変だ説も。
・・・いや、普通です。

 本当は、マニュアルのことについて書こう、と思っていたのですが、なんとなくそのままにしてしまいました。今後のことを考えると、大切なことと思いますが、またの機会に考えようと思います。

 ところで、昨今の耐震強度問題のお陰ではないのでしょうが、こんな記事が。

姫路城の天守、震度5強で倒壊も 検討会、修理対策へ

 あらあ。

 姫路城といえば、白鷺城ともいわれる美しいお城ですね。国宝の中でもよく知られていて、国の内外問わず、注目が高い文化財です。世界遺産なぞにもなっております。

 1956年(昭和31)年から8年の年月をかけて、昭和の大修理が天守閣を対象におこなわれ、維持管理がなされてきました。

 実は、姫路城の大修理と奈文研の発掘調査は非常に強い関わりがあります。
 そもそも、奈文研は南都七大寺及び奈良・京都の社寺を中心とする調査研究を課題として美術工芸、建造物、歴史の3研究室からなる組織だったのですよね。考古は歴史の研究室の中に入っていた、とても少数派だったのです。

 が、姫路城の修理の後、考古部門が発展していきます。そして、自治体も・・・。
 ある意味、現在の埋蔵文化財行政の方向性を決めたのはこの時だったのでは、と新人の頃T所長にそんな話を聞いて思ったことがあります。
  
 そういえば、amuroさんのところで、凄い難しそうな採用試験問題の草案が出ていましたね(笑)。
 私が意地悪な試験するなら「発掘調査および埋蔵文化財行政における建築史の果たした役割について法隆寺、姫路城の実例を用いて述べよ」かな。

 ・・・あ、自分もまずいな。入所してから知ったこと多いし。

 でも、考古学で「当たり前」になっている調査方法のいくつかが建築史からやってきている、ということが忘れられ、建築史の研究者の考えた狙いを無視して教条的に形骸化した方法を繰り返すだけになっている「お馬鹿な」状況はやはりまずいと思うのです。

投稿者 あかねだ : 16:44 | コメント (4)

2005年08月10日

天下統一の野望?挫折編

 出土資料の持つ情報の中でも大事なものに、位置の情報がありますよね。
 色々な表し方があると思います。

 飛鳥・藤原、平城の地域は、遺跡調査に際して調査のための方眼座標(グリッド)を設定しています。これを記録しておくことにより、遺構や遺物の位置を3×3mの正方形の区画(スクエア)まで絞り込めるようになっています。

 (よくこの個別の方眼を「グリッド」と呼んでいます(私もついつい使う)が、私も学生時代に教わった共立女子大の植木先生の論考によれば、グリッドは「格子」であって、個々の方眼を示す場合はスクエアが正しいというのは、その通りだと思います・・・。)

 前回は、遺構と遺物についての記号について、紹介しましたが、位置情報についても、同様に記号で示すようになっています。
 これは、遺跡の位置を示す大地区と、更に細かな地区名を示す中地区、最も細かな小地区を組み合わせて表現します。

 6AFI UO21 SD5100と書かれた資料なら、大地区6AFI区の中地区U区にあるO21というグリッドになり、平城京左京三条ニ坊の溝SD5100出土のもの、ということになります。

 大地区の4桁の記号は、はじめの数字が主な時代を、次のアルファベットが遺跡の性格を、残りの2文字が固有の遺跡名を示しています。

 0外国 1先縄文時代 2縄文式時代 3弥生式時代 4古墳時代 5飛鳥時代 6奈良時代 7平安時代 8鎌倉時代 9室町時代以降

 A宮殿・官衙・城柵 B~K寺院(B大和 C山城 D摂河泉 Eその他近畿 F関東東北 G中部 H中国 K四国九州) L~N集落(L近畿 M東日本 N西日本) P~R(P近畿 Q東日本 R西日本) S~U製造所(S近畿 T東日本 U西日本) V記念物 W/X国郡衙(W東日本 X西日本) Y交通関係 Zその他

 いやあ、突っ込みどころ満載ですが・・・。

 主な時代って複雑な複合遺跡はどうすんだ、とか、大和と山城はいいとして、摂河泉ってむちゃなくくりじゃないか、とか、その前に畿内制セントリズムばりばりだな、とか、近畿地方は細かいくせに「関東東北」とか「四国九州」って、なんだよ、とか、近世の北海道のお寺はどうするんだ、とか、国郡衙は分けているのにその他の官衙と城柵が宮殿と同じAになるのか、とか。

 まあまあ、時代ものですから(先縄文時代、とか、縄文や弥生に「式」がついているのも、歴史を感じますね)。

 こうみてくると、当時はどうやら全国的にこのシステムの展開を考えていたようですね。
   

分類には当初10進分類法を考えたが、全国的な規模で全ての遺跡に通じた10進分類は4桁の数字では不可能に近い。そこで、数字1字とアルファベット3字を併用し、17万余の遺跡名称の分類表示を可能とすることにした。
奈良国立文化財研究所編 1962 『平城宮跡発掘調査報告II』 より。

 だそうですので、全国の遺跡を網羅することを意図したものであったことがうかがえます。
 実際に宮都を離れたところでも、奈文研が調査に参加した遺跡の古い調査記録では、この表現がみられることがあります(例えば6FNH新治廃寺)。

 でも、定着しませんでした。これは、グリッドを利用した遣り方測量と利用が必要でない平板測量という記録法の違いや、↑に見える精神的な壁があったのでしょうかね。全国統一規格の挫折、といったところでしょうか。
 今は所内のローカルルールとして使用されています。
 まあ、そもそもの基準の変更といった問題(局地座標から平面直角座標系へ、そして世界測地系の改正での変更)もあって、グリッドシステムは現在、考えなくてはならない問題があるのですが、それはまたの機会に。

投稿者 あかねだ : 23:31 | コメント (0)

2005年07月21日

SだけでなくRもあるって知ってました?

 報告書を見ると、よく遺構の名称がこんな表記になっていませんか?

                    SD4750 溝

 そう、遺構を示す記号としてSではじまる記号が使われることがあります。私達は遺構記号と呼んでいます。調査機関によって、色々なバリエーションがあると思いますが、元祖の定義はこんな感じ。

SA柵・土塁・塀 SB建物 SC廊 SD溝 SE井戸 SG苑池 SH広場 SK土坑(*) SXその他
  *SKは原典では「土壙」になっています。

 ちなみに、当所では器種分類も「その他」をXにする癖があります。SXだから同じ性格の遺構だあ、ってことにはなりませんので、ちょっと注意が必要です。

 でも、これって、何でいちいちそんな記号を使っているんだろう、って思いません?
 溝1とか、建物3とかの方が、わかりやすいですよね。

 実は、これ、コンピュータが調査に導入される以前の情報処理の為の記号化なんです。
 1960年代、発掘された遺構や遺物の情報化と体系化を進めるため、ハンドソートパンチカードシステムを導入しました。扱える情報はアルファベットと数字だけ。今で言うところの出土品データベースですね。
 当時購入されたパンチカードは、遺物の実測図を保管する台紙として転用され、90年代まで生き残っていました(^^)。今は在庫がなくなったので、パンチ穴なしの台紙に変わっています。

 ところが、この記号はパーソナルコンピュータ(はじめはマイコンとか言ってましたね)が登場してからも、1バイト文字(英数)のみ使用が可能であったために使用が継続されました。今は2バイト文字(日本語等)が自由に使える状態になっていますが、既に定着していることと、並べ替えに便利なことから今後も使用は継続されていくことでしょう。

 でも、この記号、宮都ならいいけれど、他の対象には使いにくいですよね・・・。

 さて、この記号、実は遺物を示すものもありました。頭の記号は「R」

RL漆器 RM金属器 RN自然遺物 RP土製品 RQ石製品 RT瓦 RU繊維製品 RW木製品 RYその他

 ところが、このR記号は、早々に廃れることとなります。莫大な出土品に番号をふる、ということはなかなか難しいものです。RPとかRTなんて、出る時には数千単位ででますから、これらに数字を振ろうっていうだけでも、すごい作業量になります。この結果、R記号はそれぞれの対象に応じて使用方法がアレンジされ、「R番号」として遺物の管理に現在も使用されています。例えば、土器ですと、特殊な土器や土製品等の登録番号としてその名残をみることができます。

 ちなみに土器の器種分類の「坏H」なんていう表記も、その名残なんですよね。

 さて、蛇足ですが、これらの記号の決め方は、できるだけ個々の遺構・遺物の名称に近づけようと努力しています。そもそも「S」はSiteのS(厳密には遺構を指しているんですが)、「R」はRelicのRのことですし、「SC」はCorridorの頭文字のC、SDはDitchのD、RPはPotteryのP、RTはTileのT・・・。
 もちろん、全てがそうではないようですが、これは何の略号だろうか?と考えてみるのも面白いかと思います。

投稿者 あかねだ : 18:20

2005年07月20日

N文研の考古学

比較的新しい学問と言われる考古学も、既に長い研究の歴史を歩んできました。
私達はそんな先輩方の模索してきた研究や方法の延長線上で、研究を進めようと日夜努力をしているわけです(ホントかよ)。
でも、当時は意味を持っていた方法でも、今となっては意味が忘れられて形骸化しているものも多くなってきているようです。
時代が大きく変わり、様々な技術が発達した現在、これらの多くの方法は意義を失っています。しかし、それを否定するのも、あるいは新たな方法を模索するのにもそれらが持っていた意義を考えて、活かすべきは復し、変えるところは変えることが大切だと思います。
私が属している研究所も、発掘や整理について色々な方法の蓄積があります。何でこんなことをしているのか?と何気ない疑問を持つ点も多いです。色々内部の人間でさえそんな感じですから、外から見たら、更に不思議な点も多いかと思います。私が入所した頃は丁度これらの方法を確立されてきた大先輩が定年で去られていく時期でもあり、よく質問をぶつけたものでした。
知り合いの研究者の方からも問い合わせ頂く項目も多いので、このブログを利用して、そんな方法について、紹介をしていきたいと思います。
題して「N文研の考古学」。
あ、もちろん、これは個人的な理解ですので、色々間違いもあろうかと思います。まあ、こういう見方もあるということで、気軽に読み流してやって下さい。

投稿者 あかねだ : 19:12