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2006年09月08日
20060908 器への憧れ
考古学研究会岡山例会で話をさせていただくことに。
しかし、研修期間にやるものではないですね・・・。
で、今回のテーマはこれ

プレゼン用のスライドの一齣。
しかし、受けた当時には予想しなかった研究の進まなさ。多分、色々お叱りを受けそうですが・・・。
今日は、研修で土器の実測についての講師。なかなか伝えることは難しい・・・。
とりあえず、日曜日は倒れてる予定。
投稿者 あかねだ : 2006年09月08日 23:35
コメント
コダマでございます。
「たかが器 されど器」という具合のお話しなんでしょうか?
昔の私は、おはずかしいことですが、ロクロ使って成形した土器なんぞは土器じゃないと思っていました(学校にいたころのはなしです)。
地元の土器(専門家が須恵器というものが出現した以降の土器)をよく見てみると、ロクロ目一つとっても興味深いことが分かってきました。ロクロ目が最初ほとんど水平に近いのに、体部中位では傾斜がきつかったり、最初から最後まで同じ傾斜でロクロ目がめぐっていたり。これはロクロの回転速度と成形のスピードが関係しているんでしょうね。
そういう目で見たとき、古代の須恵器などは、すべての土器のロクロ目のつき方がバラバラ。近代あたりの陶器になると全て一定で同じ。器一つとっても、古代の須恵器が(近代に比べての話ですが)製作技術が画一化されてなく大量生産のシステムがまだまだ整っていないという姿を想像したくもなります。
「たかが器」、本当にそう思って土器という遺物に対する思考をシャットダウンしてしまうと、こうしたことも分からなくなってきてしまうかもしれません。特に最近の若い学生さんが、そんな風になって土器を軽視するようになると大変なような気がします。どうか、お話しするときは、少し気にしていただければ幸いです。
かといって、私は土器万能論者ではないです。通論考古学ではありませんが、考古学が過去の物質(的がついたかな?)資料から歴史を復元していく学問であるならば、全てのものや、そのものがどういうふうにどこから出土したかということには意味があります。「神はサイコロを振らない」のです。
かなり長いコメントになってしまいました。ご容赦ください。今後の更なるご活躍をお祈り申し上げます。
となりのI市のガマ太郎から、近々、こちらに来るという話を聞きました。時間があるようなら聖水でも飲みに行きしょう。
投稿者 コダマヒデナリ : 2006年09月09日 13:04
これはきっとバカ受けだな(笑)。
投稿者 t-mt : 2006年09月09日 19:05
先程帰宅しました。疲れた・・・。
>「たかが器 されど器」
流石です。最後のオチを見事に読まれました。
コダマさんのおっしゃる通りです。
ちょっと刺激的な題にしたのは、考古資料なら何でも、同じような解釈に持っていってしまう過程に、ちょっと意見したい、ということでした。
それぞれの性格を逸脱して、解釈を進めすぎると、滑稽なことになりはしまいか、ということであります。
むしろ、逆の思考停止が起こっているような気がしていまして・・・。
現在で言うと、綱に牛の頭をあしらった某牛丼チェーンの丼の分布から、結論として列島における政治体制を論じられる、とするかのようなことをしている可能性があるのではと。
という訳で、土器を研究対象にしているものこそ、まずは↑というところから、もう一度扱う資料が光を当てられる範囲を考えていこう、という話でありました。
が、今回の発表は失敗。準備不足に加えて、ちょっと力みすぎ、飛ばしすぎました。現説慣れしていて、話をするのに慣れた、と勘違いしたかも。慢心はいけませんね。
今月末、近所にお邪魔します。お会いできれば嬉しいですね。
>バカ受け
これがね、某国府の土器見学会とかぶっていたので、関係者は少なかったんですよ。
ただ、数人の研究者から、建設的な御批判と御意見をいただきました。ありがたいことです。
投稿者 あかねだ : 2006年09月09日 23:49
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