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2005年08月15日

終戦の日に

 終戦の日60年、色々なメディアで特集が組まれていますね。
 歴史を学ぶ人間としては色々考える日です。かなり日々に追われて忘れかけていることを反省。

 昨今、「あいつらはおいらの仲間にこんなにひどいことをした!」「いやそんな内容や量じゃない!」とか、「反省が足りん!」「もう反省した!」とか、そういう方向に対立が向いていますが、それでいいのかなあ、と。歴史研究者もそんな議論に巻き込まれていますね。

 被害が少なかったらいい、ってものでもないでしょう。それは戦争被害の問題だけではないと思いますが、方向性を間違えた議論が多い気がします。

 古墳とかきらびやかな装身具とかを見ても「バカなもん作って」とついつい思ってしまう私ですが、そんな私もやはりボロ家よりは立派なトコに住みたいし、ボロよりはまあまあの服を着たいわけで(錦は恥ずかしいからイヤ)、その訳が周りの目とか自分の欲求だったりするわけですが、そう考えるとあまり進歩ないのかも、とふと気付いたりします。

 歴史が示すことができるのはそれぞれの時代の情況の中で生きるために格闘した人間が常にいたということだと思います。それを現代の価値観によって断罪することに本当に意味があるのでしょうかね。今の我々を取り巻く価値観が絶対なものだと言えるかなあ。
 誰でも失敗して学んだことは多いはず。人間の特性や欠点、もちろんいい面もをちゃんと認識して、失敗を繰り返さないように知識の引き出しを豊富にして共有することが歴史をする意義のひとつなのではないかな、と思います。
 自分達の今持っている世界観なり価値観は必ずしも空間・時間の2つの間において絶対じゃない、ということを知ったことが、20世紀っていう100年が教えてくれたことなんではないかと。

 大事なのは自分自身を笑える余裕と知識を持つことなのではないのかな。

 戦争で亡くなられた多くの方々の犠牲を無駄にしないために、何ができるんでしょうね。

投稿者 あかねだ : 2005年08月15日 22:14

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