2005年08月10日
天下統一の野望?挫折編
出土資料の持つ情報の中でも大事なものに、位置の情報がありますよね。
色々な表し方があると思います。
飛鳥・藤原、平城の地域は、遺跡調査に際して調査のための方眼座標(グリッド)を設定しています。これを記録しておくことにより、遺構や遺物の位置を3×3mの正方形の区画(スクエア)まで絞り込めるようになっています。
(よくこの個別の方眼を「グリッド」と呼んでいます(私もついつい使う)が、私も学生時代に教わった共立女子大の植木先生の論考によれば、グリッドは「格子」であって、個々の方眼を示す場合はスクエアが正しいというのは、その通りだと思います・・・。)
前回は、遺構と遺物についての記号について、紹介しましたが、位置情報についても、同様に記号で示すようになっています。
これは、遺跡の位置を示す大地区と、更に細かな地区名を示す中地区、最も細かな小地区を組み合わせて表現します。
6AFI UO21 SD5100と書かれた資料なら、大地区6AFI区の中地区U区にあるO21というグリッドになり、平城京左京三条ニ坊の溝SD5100出土のもの、ということになります。
大地区の4桁の記号は、はじめの数字が主な時代を、次のアルファベットが遺跡の性格を、残りの2文字が固有の遺跡名を示しています。
0外国 1先縄文時代 2縄文式時代 3弥生式時代 4古墳時代 5飛鳥時代 6奈良時代 7平安時代 8鎌倉時代 9室町時代以降
A宮殿・官衙・城柵 B~K寺院(B大和 C山城 D摂河泉 Eその他近畿 F関東東北 G中部 H中国 K四国九州) L~N集落(L近畿 M東日本 N西日本) P~R(P近畿 Q東日本 R西日本) S~U製造所(S近畿 T東日本 U西日本) V記念物 W/X国郡衙(W東日本 X西日本) Y交通関係 Zその他
いやあ、突っ込みどころ満載ですが・・・。
主な時代って複雑な複合遺跡はどうすんだ、とか、大和と山城はいいとして、摂河泉ってむちゃなくくりじゃないか、とか、その前に畿内制セントリズムばりばりだな、とか、近畿地方は細かいくせに「関東東北」とか「四国九州」って、なんだよ、とか、近世の北海道のお寺はどうするんだ、とか、国郡衙は分けているのにその他の官衙と城柵が宮殿と同じAになるのか、とか。
まあまあ、時代ものですから(先縄文時代、とか、縄文や弥生に「式」がついているのも、歴史を感じますね)。
こうみてくると、当時はどうやら全国的にこのシステムの展開を考えていたようですね。
分類には当初10進分類法を考えたが、全国的な規模で全ての遺跡に通じた10進分類は4桁の数字では不可能に近い。そこで、数字1字とアルファベット3字を併用し、17万余の遺跡名称の分類表示を可能とすることにした。奈良国立文化財研究所編 1962 『平城宮跡発掘調査報告II』 より。
だそうですので、全国の遺跡を網羅することを意図したものであったことがうかがえます。
実際に宮都を離れたところでも、奈文研が調査に参加した遺跡の古い調査記録では、この表現がみられることがあります(例えば6FNH新治廃寺)。
でも、定着しませんでした。これは、グリッドを利用した遣り方測量と利用が必要でない平板測量という記録法の違いや、↑に見える精神的な壁があったのでしょうかね。全国統一規格の挫折、といったところでしょうか。
今は所内のローカルルールとして使用されています。
まあ、そもそもの基準の変更といった問題(局地座標から平面直角座標系へ、そして世界測地系の改正での変更)もあって、グリッドシステムは現在、考えなくてはならない問題があるのですが、それはまたの機会に。
投稿者 あかねだ : 2005年08月10日 23:31
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